About Indian Rope

沖野 俊太郎/ShuntaroOkino/オキノ シュンタロウ
1967/3/23 B型 おひつじ座

東京都杉並区生まれ。父の仕事の関係で引越しが多く、小学校時代の6年間のうち4回も転向した。その影響かその後もニューヨークやロ ンドン、最近では河口湖などを転々とする。現在は東京在住。 小学6年生の頃、テレビで原田真二を見て初めて音楽に夢中になる。 そして中学時代、THE BEATLESを知る。すぐに仲間とバンドを結成、 同時に作曲も始める。当時のオリジナル曲を録音したカセットをまだ 何本も所有しているが、のちにVENUS PETERで開花されるソングライティングの原型がすでにここにある。とかそうでないとか・・。

高校時代はBEATLES, ROLLING STONES, WHO, CLASH, JAM などの王道ロックにニューロマの影響を加えたような?バンドをやっていた。殆どがオリジナル曲でコンテストなどに出場するもことごとく落選 していた・・・・。が、当然、審査員どもがアホだと思っていた。 高校卒業後、服飾専門学校時代にはモッズバンド「SHOUT」を結成。 MARCH OF THE MODSやMODS MAYDAYなどにも出演。ものすごい エナジーを誇るバンドで”クールでイカした”他のモッズバンドからは 異端児扱いされる。 殆どパンクバンドだった。当時の状況は甲本ヒロト率いるコーツやBIKE(現コレクターズ)がいた。何回かBIKEと対バンした記憶がある。モッズ達のファッションやスタイルへの執着に嫌気がさし脱退。


80年代後半、原宿で井上由紀子(元フリッパーズギター、現ライター) に突然 「バンドのヴォーカルをやってくれませんか?」 と話しかけら れる。実はこれが以降に起こる”渋谷系”など現在の音楽シーンの重要な一部へとつながる出来事だったのだ。オレはこの頃までヴォーカルではなくずっとギタリストだったので「ギターならやってもいいよ」って 事になった。音楽的にはあまり興味なかったけど単純におもしろそうな 気がしたから・・・。
ある日井上さんが雑誌”ポパイ”の街角スナップのコーナーを見てて 「この子をボーカルにしたい」ってオレに見せた。それが小山田くん (現コーネリアス)だった。たまたまこのバンドのベース(だったと思う) の子が小山田くんを知ってて彼が参加する事になるのだ。


つまりオレが井上由紀子に声をかけられなかったら今のシーンは全く 違うものになっていたかもしれない・・・。マジで。


その後、オレはこのバンドを離れ(結局何もしなかった・・。)小山田君 とVELLUDO(ビロード)を結成する。この頃から小山田君の影響で UKインディーズ等を聞くようになる。VELLUDOはシングルを1枚発表 し、(不発に終わる)2枚目のシングル、後にVENUS PETERの代表作となる”mighty mystic eyes"を録音するが所属レーベルの社長の失踪によりお蔵入りとなる。

’88、ニューヨーク行きを決意しVELLUDOは解散。渡米1年後にラジオから流れるSTONEROSESに衝撃を受け「やっぱロンドンだな」・・と 渡英・・・・珍道中を繰りひろげる。当時ロンドンはMADCHESTER一色 で、当然オレも飲み込まれる・・・・・・。半年後、帰国。


帰国後、ロンドンで知り合ったネオアコ絡みの知人の紹介であるバンド になんとなく参加する。後にVENUS PETERと名のる事となる。


当初「なんとな〜くやっていた」というのが功を奏しあの脱力ボーカルを生みだす。気が付いたらインディーチャート1位みたいな感じだった。 契約にすら行かなかったのに・・・・。ただただ「酔っ払って」いた・・とか そうでないとか・・・。

VENUS PETERは大人気でメジャーへ派手なデビューを飾り、そのまま オレはロックスター!街道を突っ走る予定だった。が、色々あってね。 そんなにうまくはいかなかった・・てのが現実。トラットリアからアルバム2枚出して解散。ただVENUS PETERは日本のギターポップにおけるスタンダードナンバーを何曲も残していると断言できる。よね?


’95 1st ソロ
「HOLD STILL,KEEP GOING」でソウルミュージックを ’96 クラブミュージックに傾倒し、「ELECTROIKA」を発表。

ひたすらクラブ通いの日々を続ける。

さまざまな影響を消化すべく、ソロユニット INDIAN ROPE をスタートさせる。


'99 「STONE BUDDHA」E.P. でtorattoriaからデビュー。
(以降はDISK ページ参照)